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高森明勅
2018.11.4 13:09政治

憲法9条と日本思想の逆説

憲法9条について考える時、
気になっている事がある。
 
私が尊敬する数少ない保守系知識人の1人、
長谷川三千子氏がずっと前に公表された見解だ。
 
やや長めの引用になるが。
 
「戦後の日本人が、あの戦争について、
非はすべて我方(わがほう)にあると考へ、
林房雄氏の(『大東亜戦争肯定論』が)説くやうな
『あたり前』のことをむしろ奇説とみるやうになつた
こと―これを7年間の占領と検閲の所為(せい)にして
しまふことはたやすいことである。
あるいは共産主義者の宣伝を責めるのもよい。
しかし…もしも『大東亜戦争』のかくも理不尽な断罪が、
われわれの『大和魂』を本当に危(あやう)くするもの
であつたとしたら…日本人はすべて聞き流したことであらう。
…(敗戦後に石原完爾が唱えた)
『国民総懺悔』といふ
言葉の底にこめられてゐたのは、
幕末以来この百年間、
日本が本来の日本らしからぬ
振舞(ふるまい)を
余儀なくされてきたことへの反省である。
『東亜百年戦争』の本当の悲劇は、まさに『攘夷』が
『欧化主義』といふ形でしか可能でなかつたといふ
ところ
にある。

ムガール帝国にせよ清帝国にせよ、
誇り高く自らの文化を固持し続けたアジアの国々は、
ことごとく西洋の『実力行使』に潰された。
われわれは『われわれらしさ』を捨てることによつて
自らの国と文化を守らざるを得ないことを知つたのである。
 
…その『欧化』の基(もとい)にあつて、
目に付かぬながらもつとも重要だつたのは、
この世界の内に『対立』を見るといふこと、
敵を『敵』と認じて、自らを常にそれと対峙(たいじ)
させて眺めるといふ極めて欧米流の世界観をもつことであつた。
…止むを得ないことではあつた。
しかし悔やむべきことであつた―
その認識があつてこそ石原将軍は、
新憲法成立の報を聞いて、『
今後再軍備すべしと
米ソ(アメリカとソ連)
いづれかのいかなる強要が
あらうとも、断じて屈服するな』
と言ひ切つたのである。
戦後、危機の去つたのを肌に感じた時、
〈“もうわれわれらしく”生きても大丈夫だ〉と人々は思つた。
…われわれは、もう2度と再びあの血腥(なまぐさ)い
『欧米式国際社会』には住むまい。
いかなる『力』がわれわれを圧迫し『敵』が脅かさうとも、
それを『敵』と見、『力』と見ることはすまい。
…この『和の世界観』こそ真に独自の『日本思想』であり…
この思想に基づいて戦後のわれわれは、
すべてのエネルギーを『復讐』にではなく『復興』に
そそぎ込むことができたのである」
(『からごころ』昭和61年)―
 
長谷川氏の議論は更に続き、
立論自体の力点はむしろそちらに置かれている、と
言って良いかも知れない。
 
だが、「敗戦国が戦勝国に対して、
2度と再び立ち上がつて脅威となることがないやうに―
といふことを唯一最大の柱として練り上げられた」
(長谷川氏)
 
憲法に、他ならぬ「大和魂」の反映を見ようとする
逆説的な視点は、今もなお古びていないだろう。
この指摘を、脊髄反射的に反発するのでも、
唯々諾々として受け入れるのでもなく、
自分自身の思考の中にどう位置付けるか。
 
なおブログの訂正を2ヵ所。
 
11月1日「大嘗祭を京都で?」
「大嘗祭の京都での“斉”行」
→「大嘗祭の京都での斎行」
 
同3日「明治記念館『金鶏の間』』」
「押し付けが“な”しく」
→「押し付けがましく」
 
わが不注意をお詫びする。
高森明勅

昭和32年岡山県生まれ。神道学者、皇室研究者。國學院大學文学部卒。同大学院博士課程単位取得。拓殖大学客員教授、防衛省統合幕僚学校「歴史観・国家観」講座担当、などを歴任。
「皇室典範に関する有識者会議」においてヒアリングに応じる。
現在、日本文化総合研究所代表、神道宗教学会理事、國學院大學講師、靖国神社崇敬奉賛会顧問など。
ミス日本コンテストのファイナリスト達に日本の歴史や文化についてレクチャー。
主な著書。『天皇「生前退位」の真実』(幻冬舎新書)『天皇陛下からわたしたちへのおことば』(双葉社)『謎とき「日本」誕生』(ちくま新書)『はじめて読む「日本の神話」』『天皇と民の大嘗祭』(展転社)など。

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